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入れ墨

 
刺青のデザイン例

入れ墨(いれずみ)とは、針を用いて皮膚に墨などの色素を定着させて文様を描く行為、または描かれた文様を指す。

日本においては、谷崎潤一郎の小説である『刺青』(しせい)が発表されて度々映画化された事や、三菱銀行人質事件の犯人を描いた『TATOO<刺青>あり』 といった作品によって、近年では「刺青」と書かれる事が多くなった。

刺青を指す呼び名は人によって異なり、入れ墨(イレズミ)、文身(ブンシン)、紋身(モンシン)、紋々(モンモン)、剳青(イレズミ)、(ゲイ)、刺青(シセイ・イレズミ)、彫り物(ホリモノ)、タトゥーなど様々な表現で呼ばれている。 また、日本の伝統的な刺青を「和彫り」と呼ぶのに対して、欧米における刺青の呼び名であるタトゥー(英:tattoo、仏:Tatouage)を「洋彫り」と呼びわけることも多いが、両者の違いはそのデザインと描画の技法だけである。

青銅器時代の石像
イベリア半島出土):
頬の部分の模様は刺青を模ったものと考えられている

刺青という行為を否定的に捉えるか、肯定的に捉えるかで呼称が変わる側面もあり、入れ墨(江戸時代の刑罰から派生しているため否定的)、彫り物(芸術性を認識しており肯定的)、刺青(中立的)といった使い分けが存在する。(このため以下の文中表記は「刺青」に統一する)

刺青は比較的簡単な技術であり、野外では植物の棘が刺さったり、怪我をした際に同じ現象が発生し易いため、体毛の少ない現生人類の誕生以降、比較的早期に発生し身体装飾技術として普遍的に継承されて来た文化と考えられている。

公衆浴場での告知例

刺青を入れる技術は古今東西を問わずほぼ同一であるのに対し、これを施す理由は身体装飾、個体認識、社会的地位や身分の表示、宗教上の理由など、多種多様である。

現代の日本においては、刺青がかつて刑罰のひとつだった事や、現在でも暴力団関係者の象徴として認識されている関係から、刺青を入れた者が公衆浴場や遊園地、プール、ジム、ゴルフ場等への入場を断られたり、企業でマイナス評価を与えられ たり、周囲に悪い噂が立つなど社会生活上の不都合も多い。

歴史

皮膚に色を刺す行為は古代から世界中に存在し、刺青の絵は単純な模様から、複雑な模様まで多様である。

2500年前のアルタイ王女のミイラ: 腕の部分の皮膚に刺青が残されている

古代人の皮膚から刺青が確認された例としては、アルプスの氷河から発見された5,300年前のアイスマンの例が有名であり、その体には刺青のような文様が見つかっている。

また、中央アジアの乾燥地域で1993年に発掘された2,500年前のアルタイ王女のミイラは、腕の皮膚に施された刺青がほぼ完全な形で残されたまま発掘されている。

こうした直接発見された事例や、人体を模った石像に残された文様などから、古代の人類社会において刺青文化が普遍的に存在していた事が確認されている。

個体識別用の刺青

刺青はその容易に消えない特性から、古代から現代に至るまで身分・所属の違いなど個体識別の手段として広く用いられて来た。

アウシュビッツ収容者の腕に施された刺青

有名な例ではナチ親衛隊員が、戦闘中に負傷した際に優先的に輸血を受けられるように 左の腋下に血液型を刺青していたほか、強制収容所に収容されたユダヤ人は腕に収容者番号を刺青されて管理されていた。

人間以外の家畜やペットに対しても個体認識のために刺青や焼印が行われて来た歴史があり、かつての欧米では囚人の管理用に広く用いられたほか、近年でもユーゴ内戦時の各収容所において刺青による識別が行われていた事が知られている。

刑罰としての刺青

罪を犯した者に対して顔や腕などに刺青を施す行為は、古代中国に存在した(ぼく)・(げい)と呼ばれた刑罰にまで遡るとされる。

前漢の将軍・黥布は若い頃に顔に罰として刺青を施された事から逆に自ら名乗ったと伝えられている。

日本においては、履中天皇が住吉仲(すみのえなか)皇子の反乱に加担した阿曇野連浜子(あずみのむらじはまこ)に罰として黥面をさせた、河内飼部(かわちのかいべ)の黥面をやめさせた(履中元年4月条、同5年9月条)などの記述が日本書紀中にある。

また、宮廷で飼われていた鳥が犬にかみ殺されたので、犬の飼い主に黥面して鳥飼部(とりかいべ)とした(雄略11年10月条)との記述もある。

江戸時代には左腕の上腕部を一周する形で二、三本のライン(単色)を彫る刑罰が行われた。施される刺青の模様は地域によって異なり、額に刺青をして、段階的に「一」「ナ」「大」「犬」という字を入れ、五度目は死罪になるという地方もあった。

サブカルチャーとしての刺青

オカルト的なデザインを性的装飾に用いた例

海外におけるタトゥーは、1960年代末に世界的に流行したヒッピー文化大麻LSDなどの嗜好やカルト宗教への帰依などを特徴とする)に取り入れられて大きく成長したため、そのデザインや表示するメッセージなどにおいて両者は不可分の関係にあり、ドラッグ・カルチャーとの関連からヒッピー達が好んだヒンドゥー教チベット仏教に由来する梵字 を用いたデザインも多い。

近年の日本では、ヒッピー文化の洗礼を受けて比較的寛容な両親を持つ団塊ジュニア世代以降の若年層に第2世代ヒッピーが存在するため、オカルト的な宗教メッセージや薬物に関するサインを含んだデザインのタトゥーが、レイブや大麻・MDMAといった従来の日本文化には存在しなかった、新しい外来文化として流行している。

こうした風潮に対して“タトゥー”を薬物濫用のサインとして明確に関連付けて報道した例 も見られるなど、依然として日本社会の刺青に対する拒否感・反感が強い事も再認識されている。

暴力団構成員と刺青

日本の暴力団構成員の70%近くが刺青を入れていることが、調査で明らかになっている。

暴力団関係者が刺青をする理由としては、刺青を入れることで、社会からの離脱と帰属組織への忠誠を表したり、痛みに耐えて消えない刻印を背負うことで覚悟を示す、また“彫り物をしている”と流布する事で周囲を威圧する、等が挙げられ、そのデザインは日本の伝統的なデザインを描く「和彫り」が主流である。

他の諸国でも犯罪組織に所属するメンバーが刺青を好む事が知られており、そのデザインには各組織特有の世界観や宗教観が投影されている場合が多い。

犯罪組織からの離脱を希望しても、特定組織への帰属を示す刺青の存在によってそれが難しくなる場合があるため、自発的な脱退者に対して刺青除去手術費が公的に負担されるケースもあるとされる。

性的装飾としての刺青

性的装飾としての刺青
海外で模倣・解釈されている刺青緊縛の例

主に性的サービス業に従事する女性が、男性の性的興奮を高める性的装飾として刺青を施す文化が各国に存在している。

一般的に女性は痛みに対する耐性が男性より格段に高いため、その装飾は大きく華美なものとなる傾向が強く、女性器の周辺を装飾している場合も多い。

性的パートナーに対する服従や、仮想的な所有関係を示すために刺青を入れるケースも知られており、日本においては暴力団関係者の性的パートナーとなった女性が、他の男性に対して一般の女性とは異なる存在である事を明示するために刺青を入れる例が知られている。

また、こうした刺青の性的側面や嗜虐性を強調した独自の絵画ジャンルが存在し、日本画家の小妻要(小妻容子)の描く“刺青美人画”や“刺青緊縛画” が一定のファンを得ていると同時に、これを海外で受容した例も知られているなど、強い影響を与えている。

また、東南アジアの一部の国では、適齢期に婚期を逃した独身女性が眉部に太幅の眉毛の形状(ちょうど日本のバブル期に流行した眉毛の形である)に刺青を施す事で、特定の男性に限定されずに幅広く恋愛を行う意思(=売春への誘い)を示すサインとする習俗がある事が知られている。

刺青に関する用語

手彫り(テボリ)
柄の先で針を束ね、手を動かして肌に墨を入れる。
羽彫り(ハネボリ)
手彫りのテクニック。針を皮膚に刺した後、針先を跳ね上げることで、穿孔が広がり色素が多く入る。
突き彫り(ツキボリ)
手彫りのテクニック。
隠し彫り(カクシボリ)
腋下・内股など他人には見られにくい場所に、花びらなどで隠れた名前や言葉、淫靡な絵を彫る。
毛彫り(ケボリ)
人物や動物の毛の部分を彫ること。通常よりも細い針で彫ることが多い
筋彫り(スジボリ)
下書きとしてボカシの前に全体のアウトラインを彫る。
ボカシ(あけぼの)
墨の濃淡や各色を用いて、全体を彫っていく。
ツブシ
塗りつぶすこと
シャッキ
手彫りの音
マシーン彫りの様子
機械彫り(キカイ・マシーンボリ)
マグネットの磁力または、モーターのロータリー運動を用い、機械の上下運動により肌に針を刺す。束ねられた針には、浸透圧により墨が蓄えられる構造。
半端彫り(ハンパボリ)
彫りの痛みに耐えられなかったり、費用が続かないなどで、絵が途中までで終わっていること。
白粉彫り(オシロイボリ)
血行が盛んになると浮き出ると言われている彫り物のこと。創作上の話であり、現実には不可能である。蛍光塗料を用いて、ブラックライトに浮かび上がる刺青は存在するが、やはり通常の状態でも絵の存在は見える。

尚、マシーンを使ったから「洋彫り」、手で彫ったから「和彫り」とは一概に分類できず、絵の画風や全体の様子で判断する。和風の絵でも筋(アウトライン)はマシーンで、ぼかしは手彫りで行うなど、手法は彫師により千差万別である。

日本の刺青

古代

日本においては、縄文時代土偶表面に見られる文様を刺青と関連付ける説もあるが、皮膚を残した状態の縄文人体は発掘例が無いため、縄文人が刺青を行う文化を有していたか否かについては確定的な証明がなされていない。

また、縄文人と文化的関係が深いとされる蝦夷アイヌ民族の間に刺青文化が存在 しているため、これを縄文人に刺青の習俗があったことの傍証とする意見もある。

弥生時代にあたる3世紀の日本について記した『魏志倭人伝』中に「男子皆黥面文身」との記述があり、文身とは顔以外の身体に刺青をすることであり、黥面とは顔に刺青をすることであるため、これが日本における刺青の最初の記述と考えられている。

また『魏志倭人伝』と後の『後漢書東夷伝』には、

  • 「男子皆黥面文身以其文左右大小別尊之差」(魏志倭人伝)
  • 「諸国文身各異或左或右或大或小尊卑有差」(後漢書東夷伝)

との刺青に関する記述が存在し、刺青の位置や大小によって社会的身分の差を表示していた事と、諸国で異なったデザインの刺青が用いられていた事が述べられている。

これら縄文人・弥生人の刺青には、他の生物を威嚇する効果が期待され、これが転じて魔除けの意味を持ったとする観点も存在する。

続く古墳時代になると、人物を模った埴輪の大部分が表面に文様を持たない簡素なものとなるため、これをして刺青の風習が廃れたと考える意見もある。

しかし、一部では人物埴輪には刺青と思しき装飾が施されたものも出土しているほか、埴輪自体が装飾を廃して抽象化され大量生産されている傾向が強い事から、大多数の埴輪から刺青が省略されていた事の反映とする観点も存在する。

また、集権化の進行とともに社会構成が変化し、大部分の人口が権力者に所有される存在となった事で、個人の社会的身分を示す刺青が不要となり、刺青を施す者が権力者や呪術者、特殊な職能を持つ者(馬飼・鳥飼)など一部の人々に限られるようになったため、これを反映して刺青を施された埴輪が少数となったとも考えられている。

また、当時の神は人間と頻繁に交わる身近な存在であり、その行為も人間にとって善悪の両面を有するため、悪神を遠ざける魔除けとしての刺青は縄文・弥生時代から引き継がれた自然神に対する宗教観の反映だったとも考えられている。

江戸時代

刺青を施した男性
フェリス・ベアト撮影 1870年

江戸時代中期以降「いれずみ」は刑罰としての入墨刑を指し、それ以外の装飾目的のものは「ほりもの」と呼ばれた。

「ほりもの」は主に江戸火消し(鳶)が粋を見せるためや、漁民が出漁中に遭難死した場合の身元確認用に用いられていたほか、刑罰で刺青を入れられた前科者がより大きな刺青を施すことでこれを隠そうとする場合もあった。

江戸時代の浮世絵など文化的成熟を通して、装飾としての刺青の技術も発展した。

参照:当時の浮世絵に描かれた刺青

背中の広い面積を一枚の絵に見立て、水滸伝や武者絵など浮世絵の人物のほか、竜虎や桜花などの図柄も好まれた。額と呼ばれる、筋肉の流れに従って、それぞれ別の部位にある絵を繋げる日本独自のアイデアなど、多種多様で色彩豊かな刺青が、江戸時代に完成した。

十九世紀に入るとその流行は極限に達し、博徒火消し飛脚など肌を露出する職業では、刺青をしていなければむしろ恥であると見なされるほどになった。幕府はしばしば禁令を発し、厳重に取り締まったが、ほとんど効果は見られず、やがてその影響は武士階級にも波及して行き、旗本御家人の次男坊・三男坊や、浪人などの中にも、刺青を施す者が現れるようになり、デザインにも「武家彫り」や「博徒彫り」といった出身身分の違いが投影された。

下総小見川の藩主内田正容などは、一万石の知行を持つれっきとした大名でありながら彫り物を入れていたと言われる。ただし正容の場合は、さすがに幕府も看過することはできなかったようで、後に不行跡を理由に隠居を命ぜられた。

また、時代劇で有名な遠山金四郎も刺青があったとの伝承が残されているが、これを裏付ける資料は発見されていない。

蝦夷・アイヌ・琉球における刺青

日本領に編入されるまでの蝦夷アイヌ民族琉球王国の領域では、それぞれ独自の刺青文化が存在した。

日本書紀』の記事中には、武内宿禰の東国からの帰還報告として、蝦夷の男女が文身していたとある(景行27年2月条)。

アイヌ民族の刺青は成人女性が口の周りに施すものが知られており、1871年(明治4年)以降禁止されたが、隠れて行なわれることも多かったとされ、文化的に重要な位置を占めていたとされる。 また、現代のアイヌ女性が重要な儀式に際して口の周りを黒く塗るのは、かつての習俗の名残とされる。

琉球王国では「ハジチ(刺突)」と呼ばれた刺青文化があった。ハジチは女性のみが行い、本土にさらわれないための魔よけや後生(死後の世界)への手形とする民間信仰、成人儀礼としての意味があり、美しさの象徴ともされた。笹森儀助宮古島では11, 13歳に施す成女儀礼であり、またそれがないと後生に行けないと著作に記しており、かなり強制力があったようである。沖縄本島では14歳くらいから施し始め以後、少しづつ文様を増やしていく。両手に23の文様を彫りこんで完成とし、その頃が結婚適齢期とされていた。文様のそれぞれには太陽や矢といった意味がこめられていた。宮古島の場合は手背や前腕に彫り、文様が多彩で、米のご飯をたべる女性に育って欲しいという文様もある。

琉球が沖縄県として日本へ編入された後も、しばらく旧習が維持されたため、1889年(明治22年)10月21日になってようやく沖縄県でもハジチ(刺青)禁止令が出されたため、ハジチの習俗は廃れたが平成の初め頃までハジチを施した高齢者がみられたと伝えられている。

明治以降

明治維新以降、1872年(明治5年)に太政官令によって入墨刑が廃止されたとともに、同年の違式註違条例によって刺青を入れる行為自体も禁止された。

刺青は文明開化に相応しくない野蛮なものとして、厳しく取り締まられることとなった。特に当時の彫師は非合法な存在として、取り締まりを恐れて住居を転々と移した。

しかし、日本の伝統的刺青の芸術性と高い技術は外国船の船乗りを通じて世界に広く知られ、1881年に英国のジョージ5世が来日した際、日本側の反対にあいながらも横浜の彫師である彫千代(宮崎匡)に龍の入れ墨を自身の腕に入れさせたと伝えられる。

また、1891年に皇太子時代のニコライ2世ジョージ5世の従兄弟にあたる)とギリシャのゲルギオス皇子が来日した際にも、彫千代が刺青を入れたことが知られている。

現代の日本

刺青に対する法的規制は、敗戦後の1948年(昭和23年)の新軽犯罪法の公布とともに解かれ、以降の日本では原則として刺青に対する法的規制は存在しない。

ただし、未成年者に刺青を施す行為は、各都道府県・自治体の青少年保護育成条例等によって禁止されており、発覚した場合は彫師が処罰される。

また、司法当局は刺青の有無を当人の社会的スタンスを示す明確な指標として認識しており、逮捕された者は留置施設において刺青の有無確認とその写真を撮影される。

警察・検察での取調べや公判に際しては、刺青の存在が担当官の心証に反社会的性向の象徴として捉えられるため、結果として量刑に影響を与える事が多い。

美容用途

ヘナを用いて手に文様を描く印僑女性: シンガポール

女性の眉や唇などに針の深度を浅くしたアートメイク・タトゥー(数年で薄くなるが完全に消えはしない)を施すほか、南アジアやアフリカの女性が施すヘナ(植物性の染料)を用いて手に模様を描く(染料なので消える)事が行われている。

また、TATsと呼ばれるエアブラシを用いて皮膚表面に色素を定着させ、針を使った刺青に近い描画を可能とした技法も存在しする。この手法では一度描いた文様を油性溶剤を用いて消し去り、新たに描き直す事も可能であるため、一般的な刺青では忌避されるようなデザインであっても大胆に描く事が可能であり、刺青を入れる前にデザインが自分に合うかどうか事前に確認する用途にも用いる事ができる。

また、神社の祭礼時の出店などで良く売られている、模様の印刷された極薄のフィルムに超微粒子の顔料を使用した、プラモデルの耐水デカールの様に肌に転写する「タトゥーシール」もあり、ファッションの一部として用いられているが、こうした“消せるタトゥー(刺青)”の存在が「刺青は消せないが、タトゥーは消せる」といった誤った認識を一般人の間で蔓延させる要因ともなっている。

美容用途の刺青は人間以外に対しても行われており、色素が薄くなる傾向のある白毛の犬の鼻部に生じてしまう白斑を隠すために、黒色の刺青を施してドッグショーでの評価を上げるケースなどが知られている。

芸術性

日本の刺青は海外での評価も高く、その歴史や伝統の継承なども含めて、多くの賞賛と尊敬を受けている。 現に、2008年ロサンゼルスにて行われたBODY ART EXPO LOS ANGELSでは、福岡の彫洋がベストバックアーティスト賞の1位を受賞している。

欧米では漢字を入れるタトゥーも流行っているが、漢字を母国語として使用する人々からみると、その字体や意味用法など奇妙に見えてしまうこともある。同様の事は日本の梵字ブーム についても当てはまり、彫師が梵字の意味を知らないまま依頼者の信用へ重大な影響を与えかねないデザインを入れてしまう例 もあり、彫る前には慎重な検討が必要である。

医療的側面

オートクレーブ(加圧加熱減菌)などでは、血の固まりの中のウイルスや変質した蛋白質を死滅させる事はできず、通常の針の殺菌・滅菌処理では、ウイルスの感染を防げないことを知らない施術者たちが、不衛生な設備で施術を行っている。特にC型肝炎の伝染に注意する必要が有る。

MRI検査は刺青を入れたものに対して行うことができない。その理由として、含まれる染料によって皮膚に火傷や変色を来す可能性があることがあげられる。

生命保険会社は暴力団関係者の加入を断っているため、申込者に刺青がある事が明白な場合、その加入を断るケースがある。

美容外科では以前より刺青除去の手術がおこなわれているが、肌の表面を削りガーゼで顔料をすいとる方法を繰り返したり、自家植皮をしたり、小さければ縫い合わせたり、レーザーで色素を分解したりする。 これらの除去手術は手術痕が残る上、再三に亘る手術が必要であり、患者は苦痛に耐え続ける必要があり、保険非適用であるため多額の費用が必要となり、難治療であるとされる。

刺青を入れる際は、こうした事情を十分に考慮する必要が有る。

諸外国の刺青事情

米国

米国では近年18~29歳の青年層の間で刺青を入れる人々が急増し、同年齢層の36%が刺青を入れ、ボディピアスなどを含めると48%に上るとの報道 がなされている。

18~50歳の人々全体で見れば、刺青を入れている人々の割合も、2003年の16%から、2006年の24%に上昇しているとされ、今後もこの割合は上昇するものと予想されている。

韓国

韓国では文身(ムンシン)と呼ばれる。併合時代(韓国では日帝時代という)に日本から入った文化ともいわれるが、それ以前の李朝時代(韓国では朝鮮時代という)にもすでに刺青の文化はあった。李朝時代の歴代の王の治世を記録した「実録」の第四代の世宗王(1397-1450)の記録によると、皇太子(韓国では世子)の側室と女官が同性愛にふけったというスキャンダルがある。以後、女性同士のお互いの愛情の証として「朋」という文字の刺青を尻に密かに入れるという風習が宮中であったと記録されている。

近年の韓国では、徴兵逃れをするために刺青を入れるものもいて、摘発されている。 刺青を施す技術に関しては日本の彫り師の評判が高く、日本から呼び寄せた彫り師を数週間、韓国に滞在させて刺青を施してもらったり、色味を修正してもらう韓国のヤクザもあり、これも過去に摘発例がある。

その他

犯罪組織関係者の入国を禁じている諸国では、日本の暴力団関係者や他のアジア系犯罪組織の関係者が独特なデザインの刺青を入れている点を利用して、入国審査の場で刺青の有無をチェックされる事がある。


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